ヤンニョムチーズ事変

昨夜のことである。

 

21時頃仕事を終えた私は、遅めの夕食を摂るべく車で近所のすき家へ赴いた。

店で食べて帰ってもよかったのだが、家の方が気楽だろうと持ち帰りでヤンニョムチーズ牛丼を注文した。

店員から渡された温かな丼の袋を何の気なしに助手席に置き、私は帰路についたのである。

 

自宅まであと200メートルもない交差点で、事件は起きた。

鼻歌交じりにカーブへ差し掛かったとき、ザッとビニール袋の大きく擦れる音がして、視界の端に何か飛び散るものが見えた。

 

直後、車内が猛烈なヤンニョムの香りに満たされる。

 

まさか。

慌てて車を路肩に停め、改めて助手席を見やった私は言葉を失った。

 

ヤンニョムチーズ牛丼が、爆散していたのである。

車載ランプの薄暗さにぼんやり浮かぶ惨状の輪郭。

目を逸らしてしまいたい。なかったことにしてしまいたい。

 

が、そんなわけにもいかない。

私は覚悟を決め、助手席をスマートフォンのライトで照らした。

 

「力士が――……」

 

力士が土俵で撒く塩のように弧の軌道を描いて、一人前のカロリーが車の壁に貼りついていた。

喩えている場合ではないと後半の台詞を飲み込み、私は一番近いコンビニまで走った。

 

ウェットシートを一袋レジに置いたとき、財布を握る左手の甲に米粒とソースが跳ねていることに気付きお手洗いを貸してもらう。

 

石鹸がいっこうに泡立たない。

ポンプを見ると、「アルコール消毒液」とあった。

落ち着こう。どうやら自覚以上に私は動揺していた。

 

車に戻り、スマホで照らしながら牛丼だったものを拾い上げてはビニール袋に詰めてゆく。

まだ温かいご飯を掬い上げるたび、申し訳なさが募ってゆくのを感じた。

生産者の皆さん、店員さん、せっかく作ってくれたのに本当にすみません。

 

ウェットシートでひたすら車内を拭い上げ、袋の口を縛ったのは事の起こりから30分も後のことだった。

 

もはや夕飯を摂ることは諦め、言葉通り無言の帰宅を果たす。

牛丼だったものを封じた袋は次のゴミの日に別れを告げることに決め、早々に風呂場へ向かった。

 

私の身体は美味しいヤンニョムの香りに満ちており、何も知らない腹の虫だけがぐうぐう鳴いている。

手のひらにボディソープを揉み込み、足湯ならぬ手湯を念入りに行った。

 

ぬるい湯に15分は浸かったと思う。たぶんほとんど放心していた。

 

すき家に向かう道中では、家に帰ったらゲーム実況動画の編集をしようだとか描きかけの漫画の塗り作業をしようだとか色々やりたいことがあった。

 

あったはずである。

 

が、なんだかもう破れかぶれな気持ちになってしまい風呂から出たあとは早々に寝てしまった。

 

ヤンニョムチーズ牛丼は620円。

620円で遠心力の勢いや己の不注意を改めて意識することとなった。

高いとか安いとかそういう思いは浮かばない。適正だ。

適正価格の気づきを買ったと思うことにする。

 

次にすき家へ行くときは、今度こそ味覚メインでヤンニョムを楽しみたいものである。

 

朝顔を洗ったとき、指と爪の間からほんのり美味しい香りがした。

 

#すき家 #遠心力